『浜松から富士の実家へ戻ってきた私の想い』
もともと農家だった実家。
私は小さいころから自然の中で「当たり前」のようにとれたての野菜を食べて育ってきました。
大人になって「便利・都会」に憧れて結婚するなら街の人!!なんて思ったのもつかの間。
アスファルトの道路では「土いじり」すらできない・・・。
子供が生まれ、母が癌になって「食の大切さ」を説かれ、私自身も自分や家族の健康について深く考えるように・・・。
そしていつも前向きで努力家だった母。。。
そんな母の影響もあって浜松でも「畑を借りて」野菜をつくりはじめた。
順調に行き始めたころ、母が他界。
元気だった父も突然の事故で他界。
たった1年で両親がいなくなってしまった。
34歳の冬。
・・・正直途方に暮れました。
長男である弟は実家に戻ってくる気がなく、茶園や農地、ブルーベリーもそのまま・・・。
父や母が苦労して目指したものはここで途切れてしまう。
どうしよう・・・。
何度か実家の手入れに通ううちに閃いたのが「農業体験」で。
とりあえずやってみようとできることから始めたら応援してくれる人が現れ、イベントも何とか形に・・・。
そこから私の周りは一気に動きだします。
今まで自営の主人について仕事をこなしてきた私。
もちろん嫌な仕事も、思ってもないこともやってきました。
それから自分がやってきたことも、今やってることに全部生かされるような仕事に出会ったのです。
それが「ちゃの生」での農業。
「ちゃの生」は母が開いた農家れすとらんの名前。
自らが病気になって気付いたことを母は食を通して伝えたいと願って・・・。
その名を頂きました。
半分は両親の夢をつなぐため。
半分は自分の夢をかなえるため。
そんな想いで農家になることに決めました。
そしていま・・・。
障害者就労支援を展開しようと奮闘してます。
それが「ハート to ハート運動」!!
健常者と障害者の心と心をつなぐ運動。
気持ちと気持ちを伝える運動です。
現在、農業現場で障害者雇用を実現できないかと模索しています。
「園芸療法」と呼ばれるように彼らにとって土や植物に触れることはとてもいいのです。
そして「生きる意味」に出会うといいます。
私もそうです。
土をおこし、種をまき、時には果樹を手入れし、肥料をやり、収穫する。
それを「いただく」。
なんでもないような一連の作業も、「生かされ」「生きる」ことに繋がっています。
・・・「命のめぐり」
目に見えてるようで見えないものの方がはるかに大切だと思います。
今、子育て真っ最中の私たちが感じなければ、バーチャルゲームの好きな子供たちは一体どんな大人に?
私にできることは小さいかも知れないけれど。
私にできる全てを使って伝えていきたいと日々思っています。
皆さんよろしくお願いします。
昨日は、お電話ありがとうございました。
今現在16名集まりました。
で、この”スロウなまいにち”のブログを、こちらの”ロハスと食育”のお気に入りに入れさせていただいてもよろしいでしょうか。
おっちさま★
もちろんです。
人数最終確定したらまた教えて下さい。
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